駆け足の帰省
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 長年C型肝炎の闘病を続けてきた父でしたが、10月に症状が急変。腹水が溜まり、自力での歩行もままならなくなるほど痩せ、先日入院したとのことで、急遽、深夜バスと特急電車を乗り継いで実家に帰省してきました。迎えにきた長兄の車に乗り、まずはホームでお世話になっている母の元へ。私を見ると、ベッドに横になっていた母は眉を上げ、ちょっと驚いたような表情をしました。認知症のため、やはり会話は成立しませんでしたが、手を握り、体をさすると穏やかな笑顔になり「ありがとう、おおきに…」と小さくつぶやいたので、少し救われた気がしました。

 その後、父のいる病院へ。相部屋のカーテンが開いたベッドに横たわる痩せ細った老人が随分と険しい表情をしているなと思っていたら、それが父でした。ちょうど義姉が昼食の世話をしているところで父は上半身を起こしていましたが「スッキリせん」とつぶやきました。最初は意味が分かりませんでしたが、どうやら背中におかれたクッションの具合が悪いようで、義姉とクッションの位置を変えたり、めくれあがっていた肌着を直したりしたところ、父は「病人の気持ちになって世話をせんにゃあ」と小言を言いましたが、どうやら改善したようでした。深夜バスと特急で来たなどとひとしきり話しをすると、父は絞り出すようなか細い声で「よう来たなぁ」と何度も言いました。ふくれたお腹に、骨と皮だけの手足。そんな素人目にももう長くはないような状況なのに父は、妻や義母は元気か、仕事はどうだ、うまくいっているのか、体に気をつけてな、と人の心配ばかり。葬式のときには、退職後に母と旅行した写真をみんなに見て欲しいから、デジカメの写真をプリントアウトしておいてくれと父が言うので、どこが一番良かった?と私は聞いてみました。しばらく考えたあと父は「どこも良かった。あのときが最高だった」とつぶやきました。仕事一筋で、私が中学生になるころには単身赴任もした父とは他の兄弟に比べ交流の少なかった私は、若い頃そんな父を理解出来ず、サラリーマンにだけは決してなるまいと絵で食べて行く道を目指したわけでしたが、月日だけがいたずらに流れたことに、なんだか申し訳ないような気持ちがしていました。

 不意に「48年、よう、もったわ」と父が言いました。48年前に胃の手術の際に輸血した血のせいでC型肝炎になり、インターフェロン療法ではなく、食事や生活の見直しなどで体調を改善。阪神大震災の際にも、虫の知らせか普段浴びていたシャワーを止めたので崩れ落ちた浴室に入ることなく、命拾いした父でした。そんな父をどこか永遠に生きて行くように思っていましたが、目の前の姿を見ると、やはり人はいつか死ぬのだなと思い知らされます。

 「それじゃ、また来るわ」と病室を後にし、久しぶりの実家へ。散らかりの放題の書斎を整理し、父の使っていたデジカメを見ると、ずっと昔に私が贈った冴えないコンパクトデジカメでした。512MBのSDカードを抜き取り、パソコンに取り込むと、二千数枚の画像がそこに入っていました。名所であろういろんな場所で昔のままの姿でにっこりと笑う父と母。画質がそれほど良くないようでしたが、きっとパソコンに残せると知らず、いっぱい思い出を撮りたかったのでしょう。構図的にも平凡で、おそらく誰の興味も惹きそうもない写真の数々でしたが、それが父の最高の時間を記録したものなのでした。私はもっといいカメラを贈り、よく説明しておけば良かったと改めて後悔しました。
 
 兄夫婦と今後や各自の健康管理などについて話しをした後、駅まで送ってもらいました。降り出した雨は本降りになりましたが、桜木町につくと、とても静かな夜明けでした。
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by yutaka-yamawaki | 2014-11-04 10:22 | 暮らし
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